「開業之すゝめ」第6回
★2001年9月発売の「開業マガジン」22号に掲載した原稿です。基本的に、文章は掲載時のままとしています。
この原稿は「アーカイブ」からリンクを張っています。
「開業のすゝめ」第6回 「『完全失業率5%』が示すもの」
文・山崎修(本誌編集長)
変化対応の遅れが失業者を生む
7月の完全失業率が5%を上回ったことが8月末に発表され、波紋が広がっている。テレビのニュースなどで、ハローワークの映像や、街頭でインタビューされる中年男性の姿を見かけた人も多いことだろう。この数字の背景として産業の空洞化やIT不況を原因としているメディアが多いが、それはあくまで表層に過ぎない。本質はもっと深いところにあり、そして意外に単純なことなのだ。それは世の中の変化に産業が対応しきれていないことにある。
消費の主導権が生産者から消費者に移ったことにより、これまでにさまざまな業種で大きな変化が起きてきた。流通業では宅配ビジネスがゼロからスタートして大きな市場を生みだしたし、小売の現場では凋落する百貨店をしり目にコンビニが勃興してきた。そのように変化に見事に対応できたところでは新たな雇用が生み出され、新陳代謝がきちんと機能している。ところが、それを阻害する要因があると、この流れはストップして澱んでしまうのだ。その要因とは、たとえば硬直化した古い制度である。
旧態依然の流通が支配する出版業では、廃業する書店、出版社が相次ぐ一方、委託制度を逆手に取った新刊ラッシュで、毎日180点もの新刊書が読者の目に触れる機会もなく返品されている。ベストセラーが月に何点か生まれるとしても、あとの100点以上は採算割れになってしまうのである。これでは必死で原稿を書いた著者や取材者が浮かばれない。
出版産業については、再販制度と委託販売制度の2つが、ユニークな点になっている。このうち再販制度については過去にも本欄で触れているので省くが、委託販売制度は早急に見直されなければならない問題だ。「とりあえず取次に押し込んでおけば金になる」という出版社が粗製濫造の新刊ラッシュを招いているが、これが委託システムの欠点なのだ。
また、利益が薄いために人を雇えない零細書店は、店主が老齢を迎えると閉店せざるを得なくなる。「大型書店がどんどん出店しているではないか」という意見もあるが、それは違う。取次店と有利な条件で取引している有力書店が、きたるべき再販撤廃の日をにらんでシェア争いをしているだけなのだ。その証拠に、書籍、雑誌の売上げは減少する一方なのである。
すみやかな利権構造の破壊が必要
変化対応を阻害する要因はほかにもある。たとえば利権。小泉構造改革で俎上に上っている郵便事業や道路公団は、多くのファミリー企業を抱え、独占的な取引きを行わせている。そうやって傘下の企業を太らせ、自らは巨額の赤字を国民の税金で補填させているのだ。
アメリカのフリーウェイを運転した後で日本の高速道路を走ると、いろいろな違いが目につく。ひとつは日本の道路がずいぶんきれいに作られていることだ。カリフォルニアやテキサスのフリーウェイは、それにくらべて「お安く」できている。つまり建設費が安いということだ。頭上を頻繁にまたいでいる農道の跨道橋も日本ならではの風景だ。あれ1本にいくらコストがかかっているのだろう。要するに日本の道路は、利用者不在の高コスト体質なのである。そして道路脇の植裁。あれほど美しくメンテナンスする必要があるかどうかはさておき、あの事業が一般に門戸を開放しているという話は聞いたことがない。
もしも高速道路のサービスエリアをもっと大きく広げ、参入を自由にしたらどうなるだろうか。いままで考えもつかなかった事業がつぎつぎと興ってくるに違いない。かつての「駅前立地」のようなビジネスが新たに生まれるかもしれないのである。
ほかの阻害要因としては、お決まりの「規制」があげられる。本稿を書いている現在、ちょうどMKタクシーが事実上勝訴したニュースが流れていた。所管の運輸局は抵抗を続けるらしいが、規制産業が時代に対応して新しい流れを作った試しはない。必要最小限の規制のみ残して、お役所は可能な限りリストラすべきだと思う。
「IT頼み」ではなく創業支援を
ここで視点を変えて、失業者を受け入れるべき新しい産業に目を向けてみよう。新聞紙上では「IT不況」が雇用の減速の一因となっているが、何がIT産業なのかという定義づけも曖昧なままで、IT不況もないものだ。構造的に古い体質の企業が、たまたまインターネットビジネスに手を出しただけで「IT企業」ともてはやされているが、それが間違いの元なのである。
ITが運んでくるのは「全産業の構造改革」であり、人類社会の革新だ。アルビン・トフラーの「第三の波」が具現化したものがIT社会であり、土地でもモノでもなく「情報」が最大の資産となる世界なのである。そこでは企業のあり方も、社会の成り立ちも、何もかもが必然的に新しくなる。そういう巨大な流れはまだ我々の目に映らないし、もちろん既存の体制で簡単に評価できるものでもない。
また、失業率を押し上げている隠された要因のひとつに、日本における創業支援体制の弱さがある。米国14%に対し、我が国は3%。これが日米の開業率の違いである。米国ではベンチャー企業投資に対する税の控除が大きいため、すぐれたアイデアや技術、人物に投資して創業を支援する環境が整っているからだ。そして、ベンチャー創業の種となる技術やアイデアを育む大学が、アメリカにはいくらでもあるが、日本ではまだ少ない。学歴のための大学、ビジネスに背を向けた学問の府はもういらないのではないだろうか。
ベンチャーキャピタルやエンジェルの投資で開業できるようになれば、創業者は個人保証による金策で奔走しなくてもすむようになる。資金で悩むことなく、自分のビジネスに没頭できるのだ。
構造対策と失業対策は同根なのだ
開廃業率という数字がある。さきほどの開業率と同時期の廃業率を並べた数字だ。これによると日米の創業環境の違いが歴然としてくる。96年から99年までの開業率と廃業率を見てみよう。日本が開業率3.5%、廃業率5.6%に対して、アメリカは97年のデータで開業率14.3%、廃業率12.0%である。アメリカでは新しい事業がどんどん興り、失敗したところがどんどん潰れているのがわかるだろう。これが産業の新陳代謝となり、パワーの源泉となっているのだ。
そしてもうひとつ。開業率から廃業率を引いてみるとわかることだが、日本では潰れる事業のほうが2.1%上回っているのに対し、アメリカは逆に2.3%下回っている。これが昨今の日米における景気の違いに直結していると考えるのは早計だろうか。
政府はさきごろ、今後5年間でサービス産業を中心に530万人の雇用を作り出すシナリオを示した。だが、そのためには規制撤廃や法律改正などの課題を解決しなければならない。既得権益にしがみつく抵抗勢力を排除できなければ、この雇用増のシナリオは絵に描いた餅だ。
つまるところ、21世紀日本の処方箋は「既得権益、利権の徹底的破壊と創業の積極支援」に凝縮されている。構造改革も失業対策も、実は同じ抵抗勢力を排除することにかかっているのである。「痛みを伴う」改革に各論反対の狼煙が上がっているようだが、ここを突破できないと日本に新しいビジネス風土は根付かない。