「開業之すゝめ」第7回

2012-02-16

 
★2001年11月発売の「開業マガジン」23号に掲載した原稿です。基本的に、文章は掲載時のままとしています。
この原稿は「アーカイブ」からリンクを張っています。

 
「開業のすゝめ」第7回 「開業者は明確なビジョンを持とう」

 
文・山崎修(本誌編集長)

 
「ビジョンなき創業」は危うい

 
「リストラされそうなので何か自分で仕事を始めようと思います」「有望なビジネスアイデアがあるので資金を集めて事業化します」「リタイアして暇なので小遣い稼ぎに何か仕事をしたいと思って」という読者からのお話が、毎日のように編集部に舞い込んでくる。いずれも熱心なお電話なので、ついつり引き込まれてしまい、長話になってしまうこともしばしばだ。しかし、これらのお話には、共通しているものがある。それは、どれにも「ビジョン」が欠落しているということだ。

 
「ビジョンなんかなくたって仕事はできるではないか」という反論がすぐに予想されるので、はじめにお断りしておこう。ビジョンなき創業はその後が続かないし、拡大することもできない。 なぜかというと、新しいことを始めるときの熱意は何年にも亘って持続するものではないし、いろいろな障害に遭ったときに、その熱意を支える確固とした意志や信念がなければ、簡単に挫折したり諦めてしまうものだからである。

 
自分が世の中に何を提供して、その結果人々がどのように喜んでくれるのか。これがビジョンである。「社長になってベンツに乗りたい」とか「一部上場企業にしたい」というのは願望であってビジョンではない。たとえば飲食を通じて人々に幸せを提供したいと念じ、新しいスタイルの居酒屋を始める−−これはワタミフードサービスの渡邉美樹社長の例だが、そういうものがビジョンである。

 
「介護サービスで老人医療の向上に努めたい」「誰にでも使える安価な通信サービスを提供し、人々のコミュニケーションに役立ちたい」「不況に喘ぐ中高年の人々に良質な仕事の情報を提供したい」などもビジョンと呼ぶことができる。ちなみに小生の場合は「ビジネスの基礎知識が不足している人々に開業に関する平易な情報を提供し、自分で自分の人生を切り開いていくことの意義と充実感を伝えていきたい」というものである。

 
しかし、お恥ずかしい話だが、これは最初からのものではない。当初は「単なる情報提供ではない啓蒙活動で人々の幸せに役立ちたい」という、もっと漠然としたものだった。それが小誌の取材、編集活動を通じてだんだんに焦点を結び、具体化してきたのである。ビジョンは途中で変わっても構わないが、最初から持っていなければならないものなのだ。

 
目的、ポリシー、そして事業計画

 
次に、明確なビジョンを持って仕事をスタートさせるときの組み立て方を考えてみよう。ピラミッドの頂点にビジョンがあるとするならば、そのすぐ下にくるものは「目的」である。理念を具現化するための、より具体的な言葉だ。「○○を実現するために××をする」というような文脈に置き換えてみると、わかりやすいかもしれない。さきほどの小生の例でいえば、目的は「ビジョンの実現のためにこれまで培ってきた出版、編集の知識と技術を投じて、開業情報誌と関連の書籍を作る」ということになる。

 
さらにその下には「ポリシー」が配置される。「専門用語をできるだけ排除し、中学校を卒業した人なら誰にでも読んで理解できる誌面作りを心がける」「広告主は審査を経た法人に限り、マルチビジネスは一切掲載しない」というようなものである。ここまでくれば、あとは戦略に相当する事業計画、戦術に相当する個々の仕事を並べていけばよい。「開業マガジン」ならば、編集部をどのように組織するか、印刷をどうするのか、資金繰りはどうか、広告営業をどう展開するかなどとなる。さらには原稿作成の方法、コンピュータをどの程度導入するのか、原稿料をどう設定するかといった瑣末なことが決められていく。

 
この流れを見れば、ビジョンなき開業がどれほど危うく見えるものなのかを理解してもらえることだろう。それは頭のない人形にも似た、異様な姿に見えるはずだ。ビジョンとは、そのビジネスにおける「魂」である。開業時にビジョンを定めることとは、自分の夢に魂を吹き込むことなのだ。

 
言葉に変える作業が独立の心構え

 
頭の中で漠然と考えている「思い」を言葉に変える作業というものは、実際にやってみると想像以上に困難で、苦痛を伴うものである。自分自身では相当な決意で独立を考えているつもりでも、その根拠となるものをビジョンとして示せと言われると、なかなか言葉が出てこない。概して、日本人は自己表現が下手であると評されることが多い。それは等質的な社会の中で、似たような境遇におかれている人が多いことと、自分をアピールして他から際だたせることを良しとしない社会性の中で培われてきたものなのだろう。

 
しかし、これから商売の世界に一人で乗り出していく者にとって、そのようなことは何の慰めにもなりはしない。厳しい競争社会において、自己表現ができないことは、武器を持たずに戦場に出ていくことと等価だからである。そして、この産みの苦しみは、生ある限り永遠に続いていく経済的な営みの第一歩であると同時に、最適な練習問題であることも認識しておくべきだ。

 
どういうことかというと、独立して仕事をしていくためには、自分自身をも客観視し、その価値を常に見積もっていくことを必要とするが、自分の胸の内にある「思い」を他者に誤解なく伝わる言葉にする作業もそれと同じ工程を経るからである。サラリーマン生活が長かった人、次になすべき仕事をいつでも指示されることに慣れていた人ほど、この作業は苦痛であるはずだ。しかし、独立して自分で仕事を作っていくためには、このことは避けて通れない道なのだ。早期に自己を客体視することに慣れておく、という意味でも、ビジョンを持たなければならないのである。

 
口にされたビジョンは力となる

 
言葉は、言霊である。口に出され、文字として発表され、それが繰り返されることで力を持ってくる。別に物書きを生業としている人でなくても、その人の真の思いが表現された言葉であるなら、自分自身で何度も口にし、あるいは文字として何度も表現されることで、力となって帰ってくるのである。「私はこのような思いで仕事を始めるのです」とビジョンを語っているうちに、そのことは本人を励まし、周辺の人々を巻き込んでいくものなのだ。逆風に遭って目標を失いかけたときには灯台の役目を果たしてくれるだろうし、力を出し合わなければならない組織を束ねていくための原動力ともなるだろう。そのビジョンに価値を感じとる人が多ければ、その実現のために協力してくれる人も多いというわけだ。

 
再び私事に戻って恐縮だが、小生が現在のビジョンに到達して、それを口に出すようになったときから、取材先や広告主の対応が目に見えて変わってきた。少なくともそのように感じ取ることができた。そのことがこの仕事を続けていく上でどれほどの励みになったかは、とてもこの紙幅では語り尽くせない。体感的な表現をするなら、今のビジョンがあるおかげで「根の生えた」仕事ができていると思っている。

 
信念、思い、魂。表現はいろいろだが、とにかく開業にはビジョンが必要であることをおわかりいただけただろうか。そして本来、このことはどのように仕事をしていくときにも必要なことなのである。

 

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