「開業之すゝめ」第5回
★2001年7月発売の「開業マガジン」21号に掲載した原稿です。基本的に、文章は掲載時のままとしています。
この原稿は「アーカイブ」からリンクを張っています。
「開業のすゝめ」第5回 「『失敗例に学べ』は覗き趣味だ」
文・山崎修(本誌編集長)
失敗例は毒キノコのようなものか
読者からのお便りを見ていると、「成功事例だけでなく失敗事例もたくさん載せてほしい」という声が多いことに気づく。確かに私が編集発行人となって以来、特集企画などでは成功事例ばかり掲載してきた。しかし、それは意図してのことであって、決して安易な取材に堕しているわけではないことをここでご説明しておきたい。
一般に、この種の雑誌で、独立に失敗した人を取材するのは困難な場合が多い。開業資金をはじめとする借入金が返済困難になっていたりして、場合によっては家族離散、行方不明のこともあるからである。また、お会いできたとしても、不義理をかけている相手への配慮から、写真掲載不可、仮名での登場となることが多い。そしてそれでも無理を押して取材を進めるということは、せっかく立ち直ろうとしている取材相手の、やっと血が止まったばかりの傷口を再び開くことにもなりかねない。人道上、首を傾げざるを得ないのである。
「毒キノコの見分け方」という話がある。毒キノコは毒のないキノコに比べて圧倒的に種類が少ないので、食べられるキノコを覚えるのではなく、毒キノコを全種類覚えてしまえばよいというものだ。もちろん、見分けが困難なものもあるから、実際に採取して調理するときには専門家の助言が必要なのはいうまでもないが、ある選択をするときには少ない方のケースを熟知しておくことが賢い方法だということだ。さて、独立開業の場合はどうだろうか。
はっきり言えるのは、成功するケースが失敗するケースに比べて圧倒的に少ないということ。「失敗なんかするものか、絶対に成功するぞ」と意気込んで、精一杯の努力をしても、そうなのである。そして失敗する要因が無数にあるのに比べて、成功するための条件は針の穴に糸を通すようなものだということ。つまり、独立開業においては、失敗した話は河原の石のようにごろごろしているのに対し、成功した話は、その中の鉱石のように貴重なものだということだ。運と努力とアイデア。それを呼び込んできた情熱。独立時の緊張と興奮。成功の甘く熱い快感。それらを知り、共感することによってのみ、読者は独立の成功へと近づくことができるのである。
戦死者の観察は弾よけにならない
では、失敗から学ぶことはできないのだろうか。もちろん、それも可能だろう。しかし、それができるのは、本来成功すべき要素をすでに備えている人だけである。なぜなら、失敗の罠は至る所に隠されているから、一つの罠を学んだとしても、すぐ一歩先に隠れている罠に、はまってしまうおそれが大きいからだ。
ところで、読者はなぜ、失敗例を読みたがるのだろうか。私にはどうしても、「覗き趣味」にしか思えない。「ああこの人はこんなに悲惨なことになったのだ。かわいそうに」そうひとりごちながら、ささやかな同情心に身を委ねる人もいるだろう。だが、敢えて言わせていただくが、そのような人が独立開業することはむずかしい。これから自分の夢のために、自分の潜在能力を信じて、人生を賭けていこうとする人に、そんな甘い感傷に浸っている余裕はないのである。たとえそこが死屍累々の戦場であろうとも、脇目もふらず、あるいは、一瞬瞑目した後に、突進していかなければならないからである。
本誌をお読みの方のほとんどが、将来の独立を夢見て、なんらかの準備を始めている人だろう。その人たちが、具体的な失敗例をいくつか読んだところで、無数にある失敗の可能性をことごとく知ることにはならないはずだ。広大な地雷原で四散してしまった人を観察したところで、自分が地雷を踏まないという保証を得ることはできない。しかも、戦死者は口を利かないが、事業に失敗した人たちは、多少なりとも自己の責任を他へ転嫁する傾向があるので、いくら緻密に観察したところで、正確な事例研究にならない場合が少なくない。
それでは、失敗例を知ることは何の足しにもならないのだろうか。
成功者には必ず失敗の歴史がある
私たちが取材中に、唯一、臆することなく自分の失敗を語ってもらえる場合がある。それは、現在の成功者が過去の失敗を振り返って話してくれる場面だ。実は、この例だけは何を置いても熟読し、真剣に噛みしめていただきたい。そこではあらゆる不義理が精算されているので、具体的に誰かを傷つけてしまう怖れが少ない。そのために、何かを隠蔽する必要がないから話がストレートだ。しかもその人がその失敗から何かを学び取って成功に結びつけているために、参考にできるのは単なる実例だけではない。その原因と結果の分析が示されているのだ。
たとえば本誌巻頭の「成功者インタビュー」を見てみよう。第1回の渡邊美樹氏の場合は、つぼ八のフランチャイズとして順風満帆の滑り出しを経験した後、洋風居酒屋「白札屋」の出店に失敗し、窮地に陥った。氏はそこで2社に分かれていた事業を統合し、白札屋をつぼ八に転換することでピンチを乗り切り、その勢いでオリジナルの事業をスタートさせている。しかし今度は、そのオリジナル事業のひとつ「和民」がつぼ八に似ているとクレームが付き、短期間のうちに、つぼ八を和民に転換するという難問に直面する。そのようなピンチを乗り切ってこられたのは、初対面の人間でも圧倒されてしまう、氏の事業に賭ける情熱と、それに賭けてついてきた仲間たちの力があったからだ。このような波瀾万丈のドキュメンタリーは、下手な小説を読むよりはるかに面白いし、自分の人生の参考にもなるのである。
文字通り「失敗は成功の素」なのだ
18号に掲載したホクト産業の水野正幸社長のインタビューでも、淡々とした口調の中に、苦汁に満ちた戦いの跡が感じ取れる。苦労して開発した新種の種苗をあっさりと盗まれ、長年に渡る裁判闘争も実を結ばない。しかし、その逆境をバネにして、工場方式によるキノコの栽培に乗り出し、シメジとエリンギでトップメーカーに躍進することに成功したのである。これは水野社長の技術に賭ける執念と、それに応えて次々と新種のキノコを生みだし続けた研究スタッフの、努力のたまものである。
19号のスリープロ・高野社長は会社の成長期に、大手のライバル会社が倒産し、顧客からの不安を招いた。タイミングよく大手家電チェーン店が契約してくれたからピンチをしのげたが、高野社長の「社長になりたいと思ったことは一度もなかった。ただ、やりたいことをやるために仕方なく社長をやっている」という無欲の姿勢が協力者を呼び寄せたのだろう。このような理由で、本誌では失敗例ではなく成功者のインタビューを積極的に掲載しているのである。