「開業之すゝめ」第2回

2012-02-11

 
★2001年1月発売の「開業マガジン」18号に掲載した原稿です。基本的に、文章は掲載時のままとしています。
この原稿は「アーカイブ」からリンクを張っています。

 
「開業之すゝめ」第2回 「なっております」が示すもの

 
文・山崎修(本誌編集長)

 
経営責任を曖昧にする言葉づかい

 
駅のアナウンスを聞いていると、こんなフレーズが耳に飛び込んでくることがある。

 
「当駅では喫煙場所を除き、終日禁煙となっております」

 
公共空間が禁煙、あるいは閉鎖された建物の中が禁煙、というのは世界的な傾向なのだから、滞在時間の短い駅のプラットホームなどは、どんどん禁煙にするべきだと思う。

 
気になるのは、そのことではなく、「なっております」という表現である。

 
そう思って、いろいろな場所で耳をそばだてていると、多くの商売の現場で、意識してかそうでないかは知らないが、この表現が使われていることに気がつく。

 
「料金は300円となっております」
「夜11時からは深夜料金となっております」
「お客様の地域は配達圏外となっております」などなど。

 
ここで問題にしたいのは、「なっております」という言葉が責任の所在を明らかにしていないことだ。というよりも、むしろ責任の所在を曖昧にしたいがために、あえてそういう表現を選択しているようにすら思えることだ。

 
まるでコップを割った子供が「ぼくじゃないもん。ひとりでにテーブルから落ちたんだもん」と言うようなものである。

 
「当駅では喫煙場所を除き、終日禁煙です」
「料金は300円です」
「夜11時より深夜料金を頂戴します」
「申し訳ありませんが、お客様のお住まいになっている地域には配達できません」
などと胸を張って言うことがなぜできないのだろうか。

 
個人営業からビッグビジネスまで、商売というものは顧客に商品やサービスを提供し、その代償として対価を得る営みである。誰が誰に対して何を提供し、その対価がどのようなものであるかは、明瞭でなければならない。そうでなければ競争相手と伍して熾烈な戦いを勝ち抜いていけるはずがない。

 
自信を持って言えない理由とは?

 
そういう観点で見てみると、「なっております」と平気で従業員に言わせている経営者は、ビジネスに対する姿勢が甘いと言わざるを得ない。誰のために、何の目的でその種の決めごとを行っているのか、本気で考えているとは思えないからである。たとえば駅のホームの禁煙について考えてみよう。

 
消防当局からのお達しにより、と明言したのは地下鉄だが、地上を走る鉄道、とくに都市部の通勤路線は、朝夕のラッシュ時に限らず、常時多くの人が利用する。そこで自由な喫煙を許せば、非喫煙者のお客さんの機嫌と健康を損ねるかもしれない。火傷や火事のリスクが生じるし、だいたいわずかな電車の待ち時間も我慢できないようなわがままな喫煙者の多くは、吸い殻のポイ捨ても平気だから、ホームや線路を掃除する手間が発生する。

 
そこに最近の嫌煙、分煙ブームが加われば、喫煙場所だけを例外にして全面禁煙にしてもいいだろう、という筋書きは読める。ならばなぜ、「なっております」なのか。ここから先は私の想像である。おそらく鉄道各社に問い合わせても答えてもらえそうにないからだ。

 
自分たちの鉄道を利用するお客さんのうち、時間帯ごとに「タバコが吸いたくてたまらない」「吸えれば吸いたいときが多い」「たまに吸いたいときがある」「喫煙者だがホームで吸いたいとは思わない」「自分は吸わないが、人が吸っていてもかまわない」「煙が流れてくると不快」「マナーの悪さが不快」「全面禁煙にすべきだ」といったような分類に所属する人がどれくらい存在するのか、きちんと何度も調査して、お客さんの意識を把握しているのかどうか。

 
もしもちゃんとしたデータを持っていて、お客さんの多数がどのような意識でいるのかを知っていれば、自信を持って「禁煙です」「タバコは禁止します」と言えるのではないか。それが、監督官庁の指導を待ち、同業他社の動向を横目でにらみ、さらには系列会社の経営する駅売店でタバコを売っているという弱みもあって、「なっております」と言わせているのではないか、というのが私の推測である。

 
ただし、そのことは別にどうでもいい。ここで言いたいのは、これから開業しようという人たちに、この鉄道会社のような姿勢をとってはほしくない、というただ1点のみである。

 
起業家には緊張感が何より大切

 
自分で考えた新しい商売をスタートするときには、みずから経営し、営業してビジネスを離陸させ、すみやかに安定飛行に移らなければならない。

 
1年くらい遊んでいられるほどの運転資金があったり、スタートするなり注文の電話が鳴りっぱなし、というような状況ならいいが、たいていは「はたしてつぶれずにやっていけるのだろうか」「このままお客さんが来なかったら、どうしよう」という不安のなかで、必死でお客さんの心をつかむ方法を考え、ひとつでも多くの商品を売ろうとするはずである。

 
そういう経営者なら、「なっております」などとという言葉は口に上ってこないはずだし、出てしまうようなら、まだまだ甘い、と誰かから叱責されるに違いない。

 
多くの独立経験者が口にするように(私も同感だが)、単に働いてお金を稼ぐなら、サラリーマンのほうが経営者の何百倍も楽である。それでも独立したい、自分の会社やお店を持ちたい、という気持ちになるのは、自分で自分のやりたい仕事を選び、コントロールして自由に働きたいと思うからだ。全責任を自分が持って成功を目指す充実感、ひとつでもうまくいったときの達成感が生きる喜びを与えてくれるからだ。ならば、後ろ向きの姿勢、他社に責任を転嫁しようとするポーズは厳禁である。

 
なぜなら、ほんの少しでも自分で自分に隙を見せたら、そこから緊張感が崩れ、際限のない後退がどこまでも続いていくからなのである。

 
経営者の心持ちがすべてを決める

 
組織を構築し、上から順に責任の委譲がルールに則って行われている大企業や官庁では、ある人ひとりが崩れてしまってもきちんとリカバリーされていくが、個人企業やSOHOでは、経営者が緊張感を喪失すれば、ただちにそのビジネスそのものが危機を迎えることになる。スタッフやお客さんには、微妙な雰囲気の変化がすぐに伝わるのだ。

 
逆に言えば、「なっております」が示すような、無責任体質に陥ってしまった企業組織を引き締めて活力あるチームにしていくには、かなりのエネルギーが必要だが、個人企業や零細企業なら経営者の心持ちひとつでどうにでもなるのである。これは強力な武器とは言えまいか。

 
21世紀に入って、ビジネスの世界はその変化がますます加速されていく。「ドッグイヤー」と呼ばれるようなIT産業は言うに及ばず、オールドエコノミーものんびりと構えていては、思わぬ異業種から参入してくる新たな挑戦者に食われてしまう。

 
厳しい時代であるが、これは同時にチャンスでもある。とくに小回りの効く個人経営なら、大企業の隙をついて新たなビジネスを探り当て、するりと隙間を埋めることも可能なのだ。むやみに他人に頼らず、日々勉強してチャンスをうかがっていれば、必ず成功の素をつかむことができるだろう。

 

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