「開業之すゝめ」第3回

2012-02-11

 
★2001年3月発売の「開業マガジン」19号に掲載した原稿です。基本的に、文章は掲載時のままとしています。
この原稿は「アーカイブ」からリンクを張っています。

 
「開業のすゝめ」第3回 「書籍出版というビジネス」

 
文・山崎修(本誌編集長)

 
良書出版社のベストセラー書籍

 
筑摩書房の『金持ち父さん 貧乏父さん』(ロバート・キヨサキ/シャロン・レクター著 白根美保子訳)が売れている。なんと発売4カ月で80万部を突破したそうだ。

 
この本は、もともとビジネス教育スクールの教材として書かれたもので、アメリカでのスタートはわずか1000部。それが口コミやマスメディアの紹介などで、3年間に130万部を超えるミリオンセラーとなった。

 
良書出版の老舗がヒットを飛ばすのは気持ちのいいもので、こういうニュースを聞くと、出版文化もまだまだ捨てたものではないな、という気にさせてくれる。

 
すでに読まれた方も多いと思うので、かいつまんで説明するにとどめるが、この本は(アメリカにおいて)金持ちになり、それを維持するにはどうしたらいいのかを解説したものだ。一生懸命勉強してよい大学に入り、よい企業に就職して幸せな家庭を築き……では絶対に金持ちになれないと喝破しているところがいかにも痛快である。

 
著者たちは、現代アメリカにおいて大人たちがいかにマネーのこと、投資のこと、経営のことを知らないかを嘆いているが、アメリカにしてもそうなのか、と驚かされてしまう。アメリカ人は小学校からビジネス感覚を磨き、ハイスクールでは株売買のシミュレーションをやっている、などというニュースに触れてため息をついていたのに、だからだ。

 
さて、今回は書評に終始するつもりではない。本、つまり書籍を出版する、というビジネスについて考えてみようと思う。

 
インターネットがもたらしたもの

 
この稿が世に出るころには過去の人になっていることが確実視されている首相がいるが、彼の言を待つまでもなく、世はなべてIT(情報技術)ブームである。コンピューターの飛躍的な進歩により、情報の生産、加工と流通にかかるコストが圧倒的に下がったことから引き起こされたIT革命(アメリカでは「革命」とは呼ばないが、日本では明らかに革命である。その理由は後述する)。

 
インターネットというグローバルな通信ネットワークが庶民の手に渡ったおかげで、情報の偏在が急速に解消の方向に向かっている。その結果、特別の手段を講じなくても、特定の場所に行かなくても、必要な情報を入手できる可能性が飛躍的に高まった。そして情報を入手できない障壁に対しては、それを取り除こうという圧力がどんどん高まってきている。たとえば役所の持っている膨大な情報や、病院のカルテに対する情報開示要求の声がそれだ。

 
すでにある程度の情報開示が実現されている国、たとえばアメリカでは、これはさほどのものではないかもしれないが、あらゆるところにブラックボックスがある日本では、この動きが大変な変革を伴う。だから「革命」なのである。

 
ところで、インターネットの無料情報がどんどん氾濫していくと、既存のメディアは売上げを減らしていく。テレビはともかく、値段のついたパッケージ情報である新聞、雑誌、書籍は、明らかにその影響を受け始めている。

 
とくに深刻なのが書籍だ。インターネットの影響がなかったとしても、旧来からの情報メディアであるために、流通形態も古く、特殊な形態である出版ビジネスは、明らかに時代に対して浮き上がった、あるいは取り残された存在になろうとしている。ベストセラーになるのはごくひと握りで、あとはみな初版止まり、というのが最近の書籍の傾向だ。一般に書籍の商売は、初版がほどほどに売れたとしても収支トントンがいいところ。利益が取れるのは再版からだから、こういう傾向が続けば出版社はやっていけなくなる。

 
「そもそも出版社が多すぎる」「まず再販制度、委託販売制度を全廃して、ほかの商品と同じように流通させなければダメだ」「本の値段が安すぎる」などと出版関係者は叫ぶが、口にしているだけでは何も起こるまい。

 
そもそも出版とは何なのか?

 
グーテンベルクが活版印刷機を発明し、道を開いた出版ビジネスの世界だが、出版という仕事は何なのだろうか。

 
人が生きていくために必要な知識、考え方、豊かに暮らすための知恵、生活に潤いをもたらす趣味・娯楽の情報、そして有史以来人類が築き上げてきた学問・文化の記録。そういったものを、安価で保存性、携帯性にすぐれた「紙」に記して大量に複製する。これが出版の仕事である。

 
紙の抄造技術、印刷技術、製版技術の向上はあったものの、人が作りだした文字、写真、絵画を「本」の形にして頒布することは変化していない。「CD-ROMや電子出版があるではないか」という声が上がるかもしれないが、閲覧するためにビュアーやプレーヤーを必要としないのが本来の出版物の姿である。いつでもどこでも、どんな姿勢でも読むことができるから、これほどの寿命を保ってこれたのだ。

 
グーテンベルクの印刷機を使って最初に大量出版されたのは聖書だが、それだけのニーズがあったからだ。しかし現代の出版物はそうではない。基本的にはどこからも注文され
てないものを見込みで生産し、ヒットすれば大儲け、という博打的な商売の仕方が、今の出版ビジネスの姿である。そのために、「良い本」を作るよりも「儲かる本」を作る姿勢が目立ち、それが出版物の内容低下を招いている。具体的には「二番煎じ」の横行、著名執筆者への発注の集中、センセーショナリズムへの傾倒などだ。

 
「ビジネスなのだから儲かればいいではないか」という出版人も多いが、「出版というビジネス」と「ビジネスとしての出版」は違う。もしも儲かればいい、という出版社が大多数を占めたなら、それは出版物がもはや人類の主幹的情報源ではなくなることを意味する。

 
自己改革ができなければ未来はない

 
流通の側から出版ビジネスを見ると、こちらは矛盾がいっぱいだ。まず、ほしい本が見つからないこと。これは、普通の書店では既刊図書を並べきれないことと、初版2000部くらいの部数では、全国2万軒の書店に行き渡らないためだ。

 
流通を取り仕切っている取次店では、コンピューターによるパターン配本を実施しているが、これは単純にどの書店でどんなジャンルの本が売れるかをデータ化したものにすぎないため、あまりあてにはならない。また、大書店の専門的な店員や、本好きの店主以外は、本のことをあまり知らない。出版物は委託販売制度だから、売れなければ返品できる。そのために商品知識がなおざりにされがちなのである。だから店員に聞いても要領を得なかったりするのだ。

 
それに加えて、出版物の特徴は極端な少量多品種であることだ。従って注文に速やかに対応しようとすると、膨大な種類の商品をストックし、効率的なピッキング作業を行わなければならない。取次店は多額の投資をして流通倉庫を整備しているものの、とてもすべての出版物を収めることはできない。いきおい、倉庫にないものは出版社から取り寄せることになるが、中小零細の出版社では、人手に頼るしかない。このために「取り寄せ」に気の遠くなるような時間がかかるのだ。

 
このように問題点を多数抱えた出版ビジネスだが、出版物がこれからも人類のよき友でいられるかどうかは、時代に即した改革ができるかどうかにかかっている。また、そこに新しいビジネスのチャンスがあることも間違いないのである。

 

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