「開業之すゝめ」第13回

2012-02-17

 
★2003年1月発売の「開業マガジン」29号に掲載した原稿です。基本的に、文章は掲載時のままとしています。
この原稿は「アーカイブ」からリンクを張っています。

 
「開業のすゝめ」第13回 「開業のカギは『気づき』にある」

 
文・山崎修(本誌編集長)

 
価値の中心はモノから心へ

 
「21世紀は心の時代」といわれている。20世紀が「産業の時代」であって、大量生産、大量消費にあけくれ、その副作用として、環境破壊、社会の荒廃を招いたことへの反省の意味も込められている。まさにそのことを立証するかのように、最近はさまざまな心の問題を取り扱った書籍が、心理学や精神医学の領域を超えて、教育や経営の分野でも多数出版されている。

 
特にここにきて目立つのが、「気づき」をテーマにしたビジネス書、自己啓発書である。「コーチ」「メンター」といった舶来の概念も、元を正せば「気づき」をうながす役割の専門職種である。「気づき」とは何のことを指すのか。何に気づけばよいのか。本稿ではそのことをテーマにしてみたい。そして、この「気づき」が、開業にとって非常に重要なファクターであることも論じたい。

 
20世紀後半から、社会の枠組みが変化してきている。工業化社会から、情報化社会への変化である。くわしくは、アルビン・トフラー著の『第三の波』(中公文庫)を読んでいただけばよいが、要するに、工場などの固定資産から生み出される大量生産のモノが主役であった時代から、個人やチームの頭脳で生み出される知恵が主役の時代に変わってきているのである。

 
それに従って、主要な価値の源泉である「人間の頭脳」をいかに制御するか、どのようにして能力を開発し、くみ出していくかが、ビジネスの大きなテーマになってきた。ベルトコンベアと違って、人間はクオリティ・コントロールの手法では制御できないからである。そこで脚光を浴びるようになったのが、心理学の様々な分野である。特に認知心理学は、急激にビジネスマンたちが勉強するようになった学問分野だ。人間が自分の持つ才能を十分に発揮するためには、まず自分自身のことを客観的に知り、自分の心と体を自由にコントロールできるようにならなければならない。その方法論を求めての行動なのである。

 
さらには、複数の人間たちで知恵を創造するための手法も、いろいろ考えられている。リーダーシップ論やチームの心理学がその一例である。どうすれば効率良く、資源である頭脳から、製品としての知恵を生み出すか、というアプローチをみんなで模索しているのである。

 
「効率主義」より「充足主義」

 
しかし、それらの動きには近視眼的なものもあることは否めない。まず、「効率良く」という考え方の誤りである。効率重視というのは、工業化社会の価値観であって、情報化社会にはそぐわないかもしれないからだ。人間は鶏卵工場の鶏ではない。自由を制限された環境で、「良い知恵を早く出せ」と迫られても、そうは問屋が卸さないのだ。そもそも、人間の幸福のための社会や経済である。個人個人が生きる喜びを満喫し、自分を社会のために役立てたいと願ってこその「知恵」なのである。それを手っ取り早くお金に換えようと焦るのは、本末転倒も甚だしい。

 
情報化社会、心の時代では、効率主義は時代遅れの考え方だ。ひとりひとりが自分の仕事、活動、行動に満足を覚えながら社会全体を発展させていく「充足主義」こそが、これからのキーワードであると、私は信じている。充足主義とは、何かに追われて働くのではなく、みずからの責任において設定した目標を、自分の力で達成しようと努力し、結果を評価していくものである。ノルマを課すのは上司や本部ではなく、自分自身なのである。

 
そこには、指示を待って、言われたことをすればよい、という姿勢の許される余地はない。何かというと他者に依存したり、責任転嫁をする体質が残る場所もない。そのかわり、目標を達成した暁には、大きな満足と達成感のもたらす幸福が待っている。心理学者のアブラハム・マズローが説く、「自己実現こそ陣源が持つ最高の幸福である」というレベルに到達できるのである。そしてこれは、開業の心構えとまったく同一のものなのだ。

 
「要求」を捨て、「欲求」を持つ

 
充足主義で生きようとするならば、まず自分の心を鍛えなければならない。何かというと他人に「要求」しようとする思いを戒め、代わりに「欲求」を持つのである。要求とは、「他者がこうなってほしい」という思いだが、欲求は「自分はこうありたい」という思いだ。前者は自分一人ではどうにもならないが、後者は自分だけで実現できる。

 
すべての争いごとは、要求がぶつかるから生じるものである。自分は変わりたくないが、他人は変わるべきだ、という自己中心的な考え方が要求だからである。お互いに欲求を持ち、お互いにその実現に向けた行動を邪魔しないようにすれば、いさかいなど起こるはずがない。

 
欲求を持ち、その実現に努力している人は、次第に自己が明確になっていく。すると、意識がどんどんクリアーになり、考えを行動に移すことが素早くなってくる。気持ちは落ち着き、思考はプラス方向に働くようになる。考えること、行動することに対する意欲が高まり、モチベーションがどんどんアップしてくる。自分の出した結果を冷静に評価し、もっと工夫してよい結果を出そうと思うようになる。

 
この一連の心の働きが「気づき」なのである。もうおわかりと思うが、「気づき」とは何かの奥義や秘術を学んで知ることではない。自分の心が持っていたプラス方向の潮流を、みずから確認し、了解して、自分をその方向に向かわせることだ。ちょうど、帆船の帆や舵を上手に操って、もっとも安全に風を受けて疾走するようにコントロールするようなものである。心の風は、その人が一番幸せになれる方向に向かって吹いているものなのだから。

 
充足主義がユートピアを作る

 
気づきの前提条件である充足主義が、開業者の心構えであると先に述べたが、逆に言えば、開業者こそ、いち早く「気づき」をマスターすべきだ、ということになる。フランチャイズに加盟してトラブルになる人の多くは、サラリーマン根性が抜けておらず、「指示待ち族」であったり、自分だけは正しいと主張し、だだをこねる「困ったちゃん」であったりすることがほとんだという。そのような人は、気づきや充足主義以前に、心の切り替えができないのだろう。

 
サービス業の接客がどんどん高度化し、顧客満足のマネジメントが巧妙になってくるほど、消費者としての自分は甘やかされ、わがままになる。しかし、ひとたび立場を変えて自分が商品やサービスを売る立場になると、今度はわがままな顧客を満足させる工夫が必要になる。その切り替えができないと、開業はおろか、サラリーマンとして仕事を続けていくことも難しい。常に自分が主役であると錯覚するような人は、消費者にはなれても、商売人としては生きていけないからだ。

 
果てしない要求の応酬は、我欲のぶつかり合いを招き、道徳を退廃させ、社会を荒廃させる。一方、充足主義の浸透は、世の中に一定の価値基準をもたらし、心地よい緊張感に満ちた、やさしい社会を出現させる。「気づき」を自分のものとし、新しい一歩を踏み出すのに、他者を気にする必要はない。それが幸せになるための一番の早道であると信じればよいのである。「隣の芝生」を気にしている人は、いつまでも本当の幸福とは無縁なままだろう。

 

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