「開業之すゝめ」第12回
★2002年11月発売の「開業マガジン」28号に掲載した原稿です。基本的に、文章は掲載時のままとしています。
この原稿は「アーカイブ」からリンクを張っています。
「開業のすゝめ」第12回 「『賃金バブル崩壊』がやってくる」
文・山崎修(本誌編集長)
「一夜漬け」成長の後遺症
株安で大銀行が兆円単位の含み損を出し、一方で高卒の就職率が50%を割り込んできた。平成不況は政府が何と言おうと、いまだ出口の見えないトンネルである。そういう状況で、さらに不景気なことを書かなければならない。それは日本における「賃金バブルの崩壊」である。
今、世界中が情報化社会という新しい枠組みに適応しようという動きの中で混沌としている。さまざまな組織や個人が過去との決別を迫られ、痛みを伴う改革に否応なしに取り組んでいるのだ。それは先進国ならどこも同じはずだが、日本には特別な事情がある。明治維新と戦後という二度の大改革が半ば強制的に行われてきたため、自らがもがき苦しみながら過去を捨ててきた経験を持たないからである。いわば「一夜漬け」で優等生になった学生のようなものなのだ。
そのおかげで日本は急速な近代化を成功させ、戦後は世界史に例を見ない高度成長を遂げることができた。しかし一方で、その弊害も随所にある。外圧がなければ自分たちで制度を変えられない体質や、既得権をむさぼる存在を排除できないこと、多数の利益のために勇気を持って少数の利益を損なう決定ができないことなどである。
そのひとつの例が、戦後ずっと続いてきた「インフレ型賃金管理」だ。高度成長期の日本企業は慢性的に人手不足が続いてきたため、社員の定着率が課題だった。そのために労働条件の改善が行き過ぎてしまい、「会社にいれば毎年賃金が上がり、賞与も必ず支給される」ということが常識化したのである。
少し考えてみればわかるとおり、この常識は本来おかしい。賃金は仕事に対する対価なのだから、仕事のレベルが上がらない限り、賃金も上がらないはずだ。同じ仕事をしているのに賃金だけが上がるのは、仕事という実態が伴わない賃金バブルなのである。ちなみに、会社に在籍していれば毎年自動的に昇給するという慣習があるのは、世界でも日本だけだ。
健全な社会であれば、人手不足が解消した時点でこのおかしな常識を見直していただろう。しかし、悲しいかな「一夜漬け」でできた社会システムの国では、それができなかった。そして、いよいよバブルが破裂するという、最悪の事態を迎えることとなったのである。
退職金が、ベースアップが、ボーナスが、デフレ社会の到来とともに急激に下がり始めたのが、その兆候だった。それまで、インフレを前提にしてきたさまざまな制度が、環境の変化に対応できずにきしみ始めたのだ。そして企業は、賃金制度や人事システムを全面的に改革するという「本道」を避けて、安易なアウトソーシングに逃げる道を選んだ。それは、給料が安くなるどころか、仕事がなくなってしまう人の大量発生を意味する。
稼ぐ人と安い人の二極分化
情報化社会というものは、必然的に個人の格差を生む。価値の源泉が工場などの資産から知的財産を生産する個人やチームに移るからである。それを認めず、旧来のままのやり方を通そうとする企業は、激しい競争の中で脱落せざるを得ない。産業界では、ごく一部の企業が繁栄して、残りの企業が全滅する「ひとり勝ち現象」が進んでいるが、この現象は個人にも起き始めているのだ。少数の「高い賃金をもらえる人」と、多数の「低い賃金しかもらえない人」という形の二極分化が、これからますます進行するだろう。
情報化社会の消費者は、モノではなく知恵を消費する。新しいビジネスモデルが登場すると、諸手をあげて歓迎するが、それに慣れると見向きもしなくなる。苦労して編み出した商売上の工夫が、あっという間に陳腐化してしまうのである。ユニクロを例に出すまでもないだろう。そういう中で競争にうち勝ちながら商売をしていくためには、常に新しく価値のあるアイデアを出し続けてくれる人材が必要となる。そういう人に企業は高給を払い、誰でもできる仕事をする人には、相場の賃金しか支払わなくなる。だから二極化するのである。
これまでは、同じ大学を出て同じ年に入社した社員は、ほとんど待遇に変わりがなかった。企業が個人としてではなく、マスとして従業員をとらえていたからである。しかしこれからは違う。残念ながら、高給を受け取れる人は多くない。ほとんどの人が、それまでの待遇がどうであれ、年齢にも職歴にも関係のない時間給を受け取ることになるだろう。嘘だと思ったらハローワークに行って、自分が該当する求人情報を見てみればいい。年収が半分になるなどというケースは当たり前のはずだ。人々はそのとき初めて、自分の収入がバブルであったことを思い知るのである。
優秀な中国人が事務職を奪う
今、企業経営者は減る一方の収入に見合った人件費を模索している。マンパワーを落とすことなく人件費を削減するためには、賃金バブルを全面的にカットし、能力のある人にだけ、それに見合った報酬を支払う方向しかない。定型化した仕事をアウトソーシングしたり、パートタイマーに任せるという選択も出てくるだろう。多くの経営コンサルタントが、「中高年社員を対象にして賃金の見直しを行う」「時間外労働を抑制する」「賞与の総額を圧縮する」「金利の低下に対応して退職金規定を減額修正する」などの提言をしている。中高年社員がターゲットにされるのは、彼らの賃金バブルが最も大きいからだ。
現在の中高年社員から、肩書きをすべてはずして、単純に仕事の価値で判断したとき、果たして今の年収を維持できる人がどれだけいるだろう。「家のローンが」「子供の学費が」という怨嗟の声が上がるかもしれないが、それは仕事の質とは無関係である。企業にとって、もはや「知ったことではない」話なのだ。さらにサラリーマンにとって寒い話は、中国である。現在、中国では優秀な若者たちが日本の事務職を担おうと、必死で勉強している。彼らは2年くらいで日本語をマスターし、ホワイトカラーの仕事を覚えてしまうという。彼らにとって高額な給料をもらい、将来自国で一旗上げるためである。その視野には全世界が入っており、当然彼らの始める商売はグローバルなものになるはずだ。そういう目的意識を持った人々に、フリーターで満足している日本の若者が勝てるだろうか。まず無理だろう。
インターネットの時代だから、日本企業の事務職といっても、中国にいながらこなせるかもしれない。経理事務やロジスティックスなら、丸の内にいようと上海にいようと同じことだ。現に、日本企業のコールセンターが中国での稼働を準備しているという。
会社を見捨てて開業しよう!
会社にしがみつこうとしても給料がどんどん下がり、果てはやる気満々の中国人に仕事を奪われるとしたら、現在第一線で仕事をしているつもりの人々はどうしたらいいのだろうか。生活レベルを落として、マクドナルドか清掃会社で働くしかないのだろうか。いや、そうではない。企業が評価してくれないのなら、自分自身で自分を評価すればいい。自分の一番の強みを武器に、仕事を作ればいいのである。すなわち、開業である。
そのためには、今の自分が賃金バブルであるかどうかを含めて、冷静な目で自己評価をすることから始めるべきだ。一切の甘えや、誤ったプライドを捨て、自己改革に踏み切るのである。あとの計画は本誌を読みながらじっくり考えればいい。