「開業之すゝめ」第10回

2012-02-16

 
★2002年7月発売の「開業マガジン」26号に掲載した原稿です。基本的に、文章は掲載時のままとしています。
この原稿は「アーカイブ」からリンクを張っています。

 
「開業のすゝめ」第10回 「消費者の視点と商売人の視点」

 
文・山崎修(本誌編集長)

 
変革の兆しは流通業に現れた

 
消費者と供給者の力関係が逆転したのは、ここ10年くらいのことかもしれない。われわれが子供のときには、買い物といえば近所の商店街で買い物かごを下げての買い回りで、夕方までに行かないと、店が閉まったり、目当ての商品が売り切れてしまったりしたものだった。各地に目立ち始めたスーパーも、閉店時間は商店街と同じ夕方。それでも1軒の店で欲しいものが手に入る便利さで、お客が集まるようになっていた。私の母親は小心者だったので、スーパーで買い物をしていることを知られたくないと、スーパーの帰りは商店街を通らず、ぐるっと迂回して家に戻ったりしたものだった。

 
荷物を遠隔地に送るときは、きっちりと荷造りをし、紐をかけ、荷札をつけて郵便局に持っていくのが普通だった。梱包がいい加減だと、郵便局員に文句を言われたものだ。荷物を取りに来てもらうとか、翌日届くようにするなどは想像することもできなかった。

 
まず最初に変化が出たのは、流通業だったのだろう。スーパーがどんどん大型化し、対照的に商店街が(努力が実った一部を除き)廃れていった。それどころか、大型化するスーパーは、デパートをも凌駕するようになっていく。かつて「ハレ」の場所であった百貨店が、「ケ」の場所であるスーパーに追いつかれたことで、新鮮味を失ってしまったからだ。年に何度か、家族でデパートに出かけ、玩具を買ってもらい、大食堂でチョコレートサンデーを食べることが無上の楽しみであった少年時代は、私の子供たちにはないものなのだ。

 
変化はさらに続く。「深夜スーパーを使うのは一部の客だけ」「小さすぎて成功するはずがない」とさんざんに揶揄されながら登場したコンビニエンスストアが、怒濤の快進撃を開始し、ついにはスーパーをも脅かす存在になっていく。「一部の客」ではなく、「大多数の客」が潜在的に持っていたニーズを刺激したからだった。そして、好きな時間に雑誌を手に入れられるようになった若者たちが、どこの駅前にもあった小さな書店の閉店を加速していった。

 
客たちがそれと気づかずに「我慢」をしていた運送業界では、社内の猛反対を押し切ってスタートした宅急便が市場を席巻し始めた。一度動き始めた巨大な流れは加速すると留まることを知らず、バイク便、メール便の誕生を促し、ついには郵政事業の根幹を揺るがすまでに成長した。

 
顧客満足は諸刃の剣だ

 
これらの変化の共通点は、「お客さま本位」であったことだ。業界の慣習や自分たちの都合にとらわれることなく、どこまでも顧客の利便を追求して変革を企てた者たちだけが地滑り的に成功し、その動きに同調する参入者たちがどこまでもそれをエスカレートさせていく。こうして供給者と消費者の力関係は逆転し、消費者本位の消費経済が成り立ったのである。その結果、変化を拒んだ旧弊な商売は衰退し、当の革命の旗手たちでさえも、その歩みを停めた瞬間に、あとから押し寄せる新たな挑戦者たちにその地位を奪われていった。

 
このような顧客満足を指標とする経営法は、一時代前に激しい競争を勝ち抜いてきたアメリカで発展してきたため、今では新しい経営手法の解説書がカタカナの術語で埋めつくされている。そしてその進歩は留まるところを知らず、日々耳慣れない言葉が誕生し、その解説書が後を追って書店の棚を飾る。

 
そういう世の中では、消費者は快適である。少し待ってさえいれば、より改良されたサービスが登場するのだから、何も行動を起こさなくても、どんどん便利に、安価に、快適に望むものが得られるのである。だが、いつの時代も、ものごとには表と裏の両面がある。

 
消費者の立場でいる人も、次の瞬間にはお金を稼ぐ人であるわけで、お金を使うときの快適さは、同時にお金を稼ぐ難しさにつながっているのだ。つまり、商売人の立場に立った瞬間に、消費者であるときに感じた快適さが、困難や苦労になっていくのである。「諸刃の剣」とはまさにこのことだ。

 
サラリーマンも例外ではない

 
それに気づかずにいると、不本意ながらも閉店に追い込まれた商店街の店の轍を踏むことになる。消費者の立場では利便を享受し、商売人の立場では昔のままでいたい。最近話をした自営業者にそういう姿勢の人が目立ったが、それは叶わぬ夢だ。両者が車輪の両輪だと考えてみればいい。左の車輪だけ前進し、右の車輪は後戻りするというのでは、車はその場で回転してしまう。世の中はそういう特例を認めてはくれないのだ。

 
そしてこれは自営業者だけでなく、サラリーマンにも及んでいる。「自分は勤め人だから、そのことは考えなくていい」という人もいるようだが、残念ながらそれは甘い。なぜなら、「顧客本位」の流れは、消費者に限ったものではないからである。ビジネス、すなわち商売は、そのときどきの相手が客である。ということは、企業対企業の取引でも、どちらかが客であり、供給者なのだ。したがって、より「相手の立場に立って」商売をリードした企業や担当者のほうが優位なことはいうまでもない。これまでの系列やグループに甘えた取引慣行は、すでに自動車メーカーなどで廃止され、全世界的な調達の動きが、たゆまぬコストダウンの圧力を背景として進んでいる。

 
さらに進んで、企業内の人間関係にもそれが浸透すれば、上司や同僚に対して顧客満足の姿勢で臨む人が勝ち残っていくことになる。常に考えて、行動しなければならず、のんべんだらりと給料日を待っているような仕事の仕方では生き残れない。それが今日の流れなのだ。このことは、内外に厳しい競争を抱えた企業の優秀なスタッフなら、すでに常識になっている考え方である。

 
これからの起業人に必要なもの

 
この大きな潮流の原動力になっているのが、「情報革命」である。安価に大量に流れていく情報によって、消費者は「より安く」「より便利な」供給者を知り、素早くそちらに鞍替えする。その動きの前には、「ブランドロイヤリティ」も「なじみの店」ももはや影が薄い。さらに、情報社会の特性として、企業の規模があまり問われなくなっていく。大企業だから有利だという図式が過去のものになりつつあるのである。もっとも、逆にいえば「零細企業だから」という言い訳も通用しにくくなるわけだが。

 
したがって、今のビジネス潮流で勝ち残っていくためには、休むことのない顧客満足の変革姿勢と、不断の情報力がともに必要であることがわかる。これはゴールのないサバイバルレースにも似た、過酷な図式でもある。同様にして、これからの起業人は、これまで必要とされていた「より新しく」「より便利な」「より安価な」商売のためのアイデアだけでなく、そのふたつの姿勢をも併せ持たなければならない。

 
そのためには、消費者であるときにぼんやりと購買行動に身を任せるのではなく、「自分ならどうするか」「なぜこの店はこういうサービスを選択しているのか」などと目を鋭くしていく必要があるだろう。そういう癖を身につけることができれば、ビジネスの種が身近にいくらでも転がっていることにも気づくだろう。身の回りのどんな商売にも先人たちの努力と苦労が注ぎ込まれているのだから、それらはあなたのビジネスアイデアに対して、貴重な参考資料となるはずだからである。

 

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