「開業之すゝめ」第8回
★2002年3月発売の「開業マガジン」24号に掲載した原稿です。基本的に、文章は掲載時のままとしています。
この原稿は「アーカイブ」からリンクを張っています。
「開業のすゝめ」第8回 「手紙の効用」
文・山崎修(本誌編集長)
低下する一方の手紙の地位
電話、FAX、電子メールとつぎつぎに便利な通信手段が登場するにつれ、長い歴史を持つ「手紙」の地位が相対的に低下してきた。いまでは年賀状や暑中見舞い以外で自筆の手紙を出したり受け取ったりすること自体が珍しくなりつつある。とくに文字通信でありながら即時性のある電子メールの登場と普及は、滅びつつあった手紙の歴史を一気に滅亡の縁まで推し進めた感がある。小泉改革の進捗を待つまでもなく、郵便業務は自然消滅してしまうかもしれない。実際に、今年の年賀状を電子メールで受け取った人も多いはずだ。
これはビジネスの現場でも同じことで、いまや電子メールを利用できない人は仕事にありつくことが不可能となりつつある。「言った」「言わない」の水掛け論になるおそれがなく、画像や音声までも「添付して」送ることのできる電子メールは、仕事の現場で最も役に立っているITツールであるだろう。電子メールの利点は、事務処理に通常使っているデスク上のパソコンで簡単に送受信の操作ができることと、受信したメールの返信、転送が楽なこと、パソコンのファイルを(容量に制限のあるものの)添付して送ったり受け取ったりできることだ。ほとんど即時に送受信できる点や、送受信にかかるコストが計算できないくらい安いことも見落とせない。通信文は保存、検索、再利用ができるし、プリントすればパソコンを使わなくても回覧できる。確かに普及して当然のメリットがたくさんある。
その一方でマナーに欠けるメールが要らざる軋轢を生み出したり、電子メールによって新種のコンピュータ・ウイルスが蔓延したりといったマイナス面も出てきたが、こちらは時間が解決する性格の問題だ。しかし、そんな流れのなかで顧みられることの少なくなった手紙には、もう何の利点も残っていないのだろうか。そのことを考えるためには、まず手紙と電子メール、FAXの違いを分析する必要がある。
手紙が後者二つと異なるのは、官製はがきや郵便書簡を除けば、便箋や封筒を送り主が選択することだろう。そしてワープロやパソコンを使わない自筆の手紙の場合、筆記具や文字も送り主の個性を表現する。宛名の書き方、切手の貼り方、便箋の折り方も然りである。要するに、手紙は個性表現の固まりなのだ。
手紙で個性を表現するには
同様に手書きの文面であっても、FAXにはインク、便箋の個性が伴わない。それだけでなく、筆記用具の微妙なタッチも、荒いスキャナーのジャギーに埋もれてしまう。また、相手の端末と用紙を使用するので、些細な用事で頻繁に送信するのも憚られる。
こうして見てみると、個性表現の自由度が高く、通信文作成の手間がかかるものほど利用されなくなっている現状に気づく。現代社会は、効率とスピードを追求し、手間と個性表現を嫌うのだ。いかに便利ではあっても、電子メールは個性表現の自由度がごく限られている。いかに絵文字やフェースマークを駆使したとしても、せいぜい他者との差別化ができるくらいだ。
となると、自分を相手に印象づけたい場合には、うんと趣向を凝らした手紙が有利とも言えるはずである。そして、そのことにコストは大してかからない。急を要さない連絡のときならば、通信に時間がかかるという手紙のデメリットも気にならない。たとえば初めて会った相手から2日後にこんなはがきが届いたとしたら、どんな印象を持つだろう。「本日はお忙しい中をお時間をお割きいただき、まことにありがとうございました。生来の口下手のため、弊社の活動についてきちんとご説明できなかったのではないかと懸念しております。改めてお時間を頂戴できれば、担当の者と商品サンプルを取り揃えてお伺いしたいと存じます」
これが活字で印字されていれば「如才ない人」と思うだけかもしれないが、万年筆や毛筆による手書きのものであったなら、誠実さ、真剣さを感じて、それが好意につながっていくかもしれない。
手紙が功を奏する場面とは
私は著名な人に取材を申し込むときは、必ず手紙を使う。残念ながら悪筆のために自筆で書き上げることはしないが、サインと封筒の宛名、差出人は専用の万年筆で書く。多忙な人に時間を割いてもらうのに、電話ではあまりにも不躾だし、電子メールやFAXでは馴れ馴れしすぎると思うからである。それに、もし電話で取材申し込みをしたとしても、秘書やマネージャーから「それでは企画書をお送りください」と言われる可能性が大きい。ならば最初から文書にしたほうが、時間の節約にもなるのだ。
ビジネスの世界でも「第一印象」は大切である。そのファーストコンタクトに、手っ取り早く面倒のない方法を採るか、手間を惜しまずに誠意の伝わりそうな方法を採るか。あくまでもケースバイケースであろうが、後者が功を奏する場面は少なくないと私は思っている。
それでは、相手に強い印象を残す手紙を書くにはどうしたらいいのだろうか。ことビジネスに関する限り、あまり突飛なことは避けたほうが無難だろう。豪華な便箋や封筒は避け、親しみの持てるシンプルで上質なものを選ぶのも一案だ。大きな文具店に行けば、選択に困ってしまうほどの商品がある。それを見れば、まだ手紙に利点を感じている人が少なからず存在することがわかる。
文章は、書店に行けば「ビジネス手紙文例集」の類がいくらでもあるので、最初はそれを参考にすればいい。ただし、せっかくの個性表現のチャンスである。文例をそのまま使うのではなく、どこかに自分らしい文章を挿入しておくことだ。人から受け取った手紙の中で「いただき」と思える表現があれば、借用してもいい。
TPOで使い分ける
活字と肉筆の違いは、文字に個性が出るかどうかである。短い文章やお礼の手紙は、相手に自分の姿が見えるように肉筆で書いたほうがよく、内容の濃いものは活字であったほうが読みやすい。こういう方法もある。本文はパソコンのプリントで作り、別の小さな紙に肉筆の挨拶を書くのだ。私が受け取ったことのあるものでは、はがきサイズの藁半紙に青の万年筆で「またお目にかかるのを楽しみにしています」とメッセージが書かれた紙を資料に同封したものがある。相手との心理的な距離を縮める、効果的なテクニックだと思う。
しかし、一番印象に残るのは、何と言っても毛筆だ。純然たるビジネスの世界では使いにくいが、面識のある相手に出せば、その印象深さは到底ワープロ文書の比ではない。別に書道何段という腕前でなくても、工夫さえすれば、筆ペンと凝った便箋で、誰でも印象的な手紙を書くことができる。それに次ぐのは万年筆。インクやペン先の種類で、意外な個性を出すことができる。ちなみに、私は縦と横の線の太さが極端に違うカリグラフィーペンを愛用している。これは悪筆を目立たなくさせる効果を狙ってのことだ。
また、手紙が相手に伝えることのできるのは、通信の内容と書き手の個性だけではない。便箋の折り方、封の仕方、切手の貼り方などで、相手に対する細やかな心遣いを伝えることも可能なのだ。ということは、逆に言えばその部分をおざなりにすると、いくら本文を丁寧に書いても、相手のハートを捉えられないことになる。まさに諸刃の剣である。